50年前の八ッ山橋を渡る上り列車。この時代本線の列車は全て3両編成、穴守線(現在の空港線)のような支線は2両編成でした。お若い方には信じられないと思いますが、当時京急はドアーの開閉は全て運転士が行っており、車掌は戸閉め合図のブザーを鳴らすだけでした。この状態は地下鉄への乗入れが開始されるまで行われた筈です。勿論車内放送など無い時代でした。600型×2+230型 昭和35年8月