>> |
おおらかな時代もあったようです。
名前: C59182
[2011/06/25,09:39:07] No.10323 (220.208.103.168)
JRCさん、8620さん、EF57 4さん、コメント有難うございます。
JRCさん、昭和25〜26年頃(当時私は小学生低学年でしたが)日暮里駅で東北線・高崎線の朝方の上り列車には、デッキ付きの機関車(56機?或いは53機?かも知れません)が牽引しており、反対側のデッキには通勤通学客らしい人達が大勢乗車しているのを何度も見かけました。 当時一般の電車・客車には冷房は勿論扇風機さえ付いておりませんので、夏季などは蒸し暑い車内よりデッキ上の方が冷風が流れて、居心地が良かったのかもしれません。
8620さん、そんな感電事故があったのですか、少しも知りませんでした。 きっとその方は架線電流が高圧である事を知らなかったか、或いは油断していたのかもしれませんね。 国鉄でもキット驚いたのでしょうね。その事故以来一般人のデッキへの立入りが禁止されたのかもしれませんね。
EF57 4さん、私は若い頃は新型車両ばかりに目が向いており、151系や153系等が撮影の対象になっておりました。 ですから当時宇都宮区に配属されていた56機や57機には殆ど目もくれず、東海道オンリーまたは常磐線平以北のハドソンばかりに目を奪われておりました。 その上昭和42年の平〜仙台間の電化完成で一時的に「鉄」を辞めてしまい、余計に56機・57機・58機や旧国電の姿を撮影しなくなってしまいました。 今となっては大変残念なことで自分自身を恨んでおりますが、これも仕方の無い事です。
|