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 機関車アルバム 745


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キューロク 名前: mamusi-TAKA [2014/05/22,20:19:27] No.11290 返信 Twitter
1974年1月 後藤寺機関区にて撮影
>> 後藤寺機関区の場所 名前: mamusi-TAKA [2014/05/22,20:22:06] No.11291
場所はここ↓
http://www.panoramio.com/photo/107273517


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EF55 名前: C59182 [2014/05/22,17:16:32] No.11288 返信 Twitter
お若い方々は「ムーミン」と呼んでいるそうですが、私のような年寄りは「のらくろ」と呼んでいました。

高崎第2機関区 1985-3
>> 優雅ですよね 名前: 影武者 [2014/05/24,13:49:01] No.11296
EF55といえばこの顔なんですが、個人的には第二エンド側も好きです。
手すりの取り回しなどにも工夫が見られ、デッキ付き旧型電機として
見ても相当に秀逸なデザインだと思います。
こちら側を先頭に列車を引いても様になりそう。


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DD51 名前: 504D [2014/05/21,17:09:01] No.11285 返信 Twitter
関西線


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青大将色牽引の特急 名前: C59182 [2014/05/18,15:43:19] No.11284 返信 Twitter
58の青大将色の牽引する特急列車。

10年くらい前に既投稿した?と思います。

この時代またファンは多くなく、職員に断れば線路内での撮影もする事が出来た良い時代です。

下り特急「はと」3レ 東京駅 1960-5
>> なにげに見ると… 名前: 後藤一彦 [2014/05/22,14:00:13] No.11286
66号機ですね。

のちにツララ切りの付いた厳つい顔つきで竜華区のスターになるカマですけど、この頃はまだツララ切りがなかったんですね。
>> ツララ切り 名前: C59182 [2014/05/22,17:08:48] No.11287
こんにちは。

後年の66号機については、その動静について殆ど知りませんが、「ツララ切り」が付いたという事は、東京区から高崎2区か長岡区へ転属し、上越線で活躍後竜華区へ「ツ ララ切り」が付いたまま転属したのではないかと思われます。

竜華区での活動範囲内では「ツ ララ」が発生するような寒冷地はないと思いますので。

ただ後年竜華区の58機の中で、ライトが2つ目玉(所謂ブタ鼻)に改造された58機が居ると言うことを聞いたことがありますが、もしかしてこの66号機もその中の1台だったのでしょうか?
>> どうやらそのようですね。 名前: 後藤一彦 [2014/05/22,18:55:26] No.11289
詳しくは分からないですが、東京区から高二区に頻繁に貸し出されることがあったようで、ツ ララ切りが付いたのはそのためらしいです。

あと、竜華区のゴハチは確かにほとんどがブタ鼻で、66号機もその1台でした。
(紀勢線はカーブが多いうえに当時はまだ夜行もあったので、そうしないと夜間の見通しが効かなかったらしいです)

ただ、66号機に関しては引退が決まった際にライトが原型に復元され、サヨナラ運転の際はその姿で有終の美を飾ったそうです。

そのために、ライト交換後は66号機のみ夜間運行禁止の措置がとられたようですね。


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EF58 青大将色 名前: C59182 [2014/05/15,16:21:34] No.11283 返信 Twitter
この色彩の58の牽引する「つばめ」「はと」を見ることが出来ましたが、残念ながら当時のフィルムはモノクロフィルムでした。

パンタグラフが上がっていれば、もっと良かったのですが。

旧大宮工場


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DD51 名前: 504D [2014/05/14,19:14:49] No.11281 返信 Twitter
関西線


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機関区のラウンドハウスにて 名前: C59182 [2014/05/13,21:11:05] No.11279 返信 Twitter
この時期旅客用の尾久区には、C62とC57が配置されておりましたが、何故か1両のC59が配置されておりました。

職員の方の説明では「C62の予備機だヨ」との事で、「乙線規格の常磐線でもC59は使えるのだ」と感心しました。

左側 C57 134[尾] 右側 C59 110[尾] 尾久機関区 1961-11
>> 怪しいモノが・・・ 名前: 影武者 [2014/05/14,16:41:00] No.11280
奥にあるダブルルーフの客車の廃車体が気になります。
>> 申し訳ありませんが 名前: C59182 [2014/05/14,21:13:22] No.11282
影武者さん、こんばんは。

奥のダブルルーフ客車、現在の年齢(69歳)ならばとても興味をいだきますが、当時はまだ高校生の若僧でしたので、古い廃車体には目もくれませんでしたので、残念ながら車号や形式などもわかっておりません。

ただ倉庫代わりに使われておりました。


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DD51 名前: 504D [2014/05/13,13:30:28] No.11278 返信 Twitter
こんな季節です


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D5270 名前: 影武者 [2014/05/11,16:09:42] No.11266 返信 Twitter
山北駅そばの山北町鉄道公園に保存されているD5270です。
同機の特徴は保存状態の良さ。保存会が手厚く整備をしているのでしょう、
足廻りは磨き込まれて油が回り、見る角度によっては現役機と
大差ありません。機関車全体に大きな屋根がかけられ、キャブ内
なども欠品・破損が少なく大変良い状態を保っています。
>> 素晴らしい画像を 名前: C59182 [2014/05/11,17:06:45] No.11269
影武者さん、保存機の画像を有難うございます。

特に「主連棒」がキチンと下になっている状態には感心させられます。
保存の際、何方か(鉄マニア?)の指示でキチンとした状態にされたのでしょう。


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出  区 名前: C59182 [2014/05/11,15:27:20] No.11265 返信 Twitter
機関区より出区して、駅に留置が終えた915レの客車に連結に向かいます。

「回転火の粉止め」やヘッドライトの「ツララ除け」がなければもっと良かったのですが。

ライトにツララ除けが付いているのは、北海道五稜郭区からの転属車でしたのでしょうか?
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D52 62[国] 国府津駅構内 1960-12
>> 車歴 名前: 影武者 [2014/05/11,16:28:27] No.11267
「デゴイチよく走る!」さんの機関車データベースによると、当機は
高崎第二機関区から1947年9月に転属後、廃車まで国府津区を
動かなかったそうです。
クルクルパーはともかく、このライトは何なのでしょうね?
>> 謎だらけ 名前: C59182 [2014/05/11,16:55:16] No.11268
影武者さん、こんにちは。

私もそのデータベースを見ましたが、D52が高2区に配置されていた事が怪しい?データです。(高2区は電機配置の機関区ですので、蒸気配置の高1区ならまだ話がわかりますが)

高崎・上越線は電化が終了しており、未電化区間は高崎〜横川、八高線、両毛線などで、これらの線は甲線・特甲線ではなくて、どちらかというと乙線以下の線路規格です。

その為甲線規格以上の線路で使用するD52が、甲線・特甲線を管轄していない高鉄局配置とはとても思えないのです。
>> ウィキペさんでも 名前: 影武者 [2014/05/11,17:15:26] No.11270
高崎二区にD52が配置されていたことになっているのですが、こちらも
配置期間が1947-1951年と疑問の残る記述になってます。
正確なところはきちんとした資料がないと如何ともしがたいので、
WEB上のデータは参考程度に見ておいた方が無難でしょう。
>> 高二区配置の件ですが 名前: 後藤一彦 [2014/05/12,21:32:53] No.11273
よく見ると、「デゴイチよく走る!」さんのデータベース上の高二区配置時期には「特別休車」とあります。
(ちなみに新製配置は国府津区です)

D52形はその誕生経緯ゆえに戦時中ボイラー爆発事故を起こしたものもあったことから、戦後全機が一時使用を停止されボイラー検査のうえ再整備が行われたそうです。
その時期とこの高二区配置の時期が重なりますので、おそらく高二区配置は疎開扱いではないでしょうか。

また五稜郭からは戦後全機が一旦撤退していましたが、1960年度に姫路・岡山から13両、68年度に吹田・糸崎から2両が再び五稜郭に転属しているそうです。
このことを考えると、この62号機も60年度の転属候補に一時入っていたのかもしれませんね。
(ただ、いずれも情報源はウィキですので、私の憶測に過ぎないことをお断りしておきます)
>> いろいろ調べていただき 名前: C59182 [2014/05/12,21:43:12] No.11274
影武者さん、後藤さん、いろいろお調べいただき有難うございます。

もう半世紀以上昔のことなので、当時の機関車配置表などなくて(もしかしたら鉄ピク誌の編集部には残っているかも?)確実に調べることは出来ませんね。

お二方にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
>> 斟酌不要でございます。 名前: 後藤一彦 [2014/05/12,22:21:37] No.11275
私は、ただ好きで調べただけの野次馬でございます。
>> なるほど! 名前: 影武者 [2014/05/13,03:05:46] No.11276
後藤一彦さん、わざわざ調べて頂いて感謝です。m(_ _)m
疎開扱いですか。確かにこの時期のD52はまさに運命の分かれ道にあったわけで、
運用離脱機をまとめて疎開留置していたという話は辻褄が合いますね。
戦時型急造機として生まれ、戦後の混乱期を支え、状態不良機の事故と
高度経済成長へ向けての更新再生、そしてC62への改造。
D52の波瀾万丈の生涯がこんな一端からも伺えるようで興味深いです。

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