そして、本日のプレイベントです。 現役引退のあと、長らく岐阜市内の金公園に保存されていましたが、屋根が無く傷みが著しく、そろそろ限界のようすでした。 公園地下の駐車場の老朽化もあり、今回の岐阜駅前の移設となりました。 このお色直しによって旧美濃駅の512号、旧谷汲駅の514号、某スパゲティ屋さんの515 号の姉妹たちの中で一番若返りました。 岐阜市の重要文化財の栄誉も頂きました。 これで安心ですね。 ちなみに513号は1945年7月9日の岐阜空襲の戦災における被災電車です。 戦後、焼け落ちた屋根を修復する際、元来の二重天井は復元されず簡易な平天井となっています。 余談ですが、私の母の実家はかつて徹明町でトラック運送業をしていました。 空襲の火災から逃れるため旧美濃町線の金園町通りを野一色方面に「死にとうない一心で走った。」そうです。 このとき助けてくれた消防の方がいなければ私も生まれた来ませんでした。 この電車が大切にされ、末永く人々の記憶に残ることに意味があると思う次第です。