>> |
バブル時代の産物
名前: 後藤一彦
[2014/08/28,00:37:09] No.17861
あの時代は山手線の6扉車をはじめ、どこもかしこも通勤ラッシュ時の乗客を捌くのにてんてこまいでしたからね。
小田急の場合は整列乗車を徹底していた関係上側扉の数を増やす戦術がとれず、やむなく扉幅を拡げて対応することになって生まれたと記憶しています。
しかし、これでも後に2000形の1600oという扉幅の策定に貢献していますからね、小田急らしさの確立に一躍買った珍車だとは思っていたのですが…
時代が設計の共通化だとかホームドアの普及促進という方向に向かってしまいましたから、結局この個性的な試みも定着することなく終わってしまったのは寂しいですね。
|