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 小田急アルバム 355


>>一つ先にすすむ

画像タイトル 2657@1966 -(100 KB)
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既出でもよろしいようですので… 名前: 肝高 [2003/07/20,21:40:14] No.201 ツイート
すでに、私個人のホームページ
http://member.nifty.ne.jp/baumdorf/KimuTaka/HalfMile/Hkitazawa01.htm
では公表済みですが…

お世話になったN6を記念し、ホームページ用より少し高画質にしてアップロードさせていただきます。

1966年初夏、代々木上原−東北沢間(旧砂利側線の分岐点付近)。

>> 東北沢付近 名前: チョコボ&黒チョコボ [2003/07/21,07:33:58] No.218
肝高様、おはようございます。
東北沢〜代々木上原間も今とは随分風景が異なるものですね。
あの時は複々線化され、千代田線との直通運転も計画されていた
時代ですよね?
貴重な画像ありがとうございます。
>> HP拝見しました 名前: '82フラワートレイン [2003/07/21,19:23:30] No.244
肝高さん
HP拝見しました.
昨年まで25年間東北沢に住んでいたので,大変興味深く拝見しました.
砂利側線跡に建てられた線路沿いのマンションには,小中時代の友人が何名か住んでいました.昔こそ砂利側線でしたが,バブルの頃はだいぶ資産価値が上がったみたいです.
高架化されて線路沿いの道は何となくうすら淋しくなり,夜の女性の一人歩きには何がありますが,昔から淋しいところだったのでしょうか?
私はこの近くの中学に通っていたのですが,部活やマラソン大会が近くなると,この高架線沿いの道を,「外周」といって,芋ジャージを着て走らされることがありました.
当時はまだ線増されていなかったので,代々木上原3号踏切の鳴動時間も,今ほどではなかったのでしょう.複々線化後は開かずの踏切として有名になりました.時間帯によっては,急行線を留置線として使用することもあり,せっかくの複々線が活かされていないのが難点です.特に,下りの急行線に留置される列車は,加速後,いったん代々木上原3号踏切上で停止するため,鳴動時間を増大させる結果となり,ボイスに文句を言ったことがありますが,的を得た回答を得られませんでした.
>> 無題 名前: 3号線海側どうぞ [2003/07/21,19:30:20] No.245
肝高 様
お久しぶりです。
お写真のNHE車、自動密連時代ですね。エアホースもまだ付いているし、それに窓が全開!!NHE車は長生きしたんだなあ、とつくづく感じました。
それにしても、このように窓全開した電車に乗ったら今ではちょっと恐いかもしれませんね。
>> うわ〜っ 名前: 大根おろし [2003/07/21,19:55:40] No.247
 肝高様こんばんは。1966年は昭和41年、私が生まれた年でございます。

 ご自身のHPも拝見させていただき有難うございました。あの辺りに砂利側線があったのだ、ということを人から聞き写真で見ても、今一つピンと来なかったのですが、これでもやもやが晴れた感じです。渋谷区〜世田谷区の北境が当時この様に大変鄙びたムードを持っていたことに驚きを禁じ得ません。

 3号線海側どうぞ様、こんばんは。

>それにしても、このように窓全開した電車に乗ったら今ではちょっと恐いかもしれませんね。

 私は中学1年生の初夏、向ヶ丘遊園駅の近所に住んでいた友達を訪ねた際に町田から乗ったのが非冷房車時代の窓全開の4000系で、南大谷や生田のカーブでジェットコースターに乗せられたような印象を持った憶えがあります。結構ワイルドな話ですね(笑)
>> 40年近く時間が過ぎればいろいろ変化がありますね 名前: 肝高 [2003/07/21,22:40:23] No.260
皆様へ

個人的には、2600系のデビューのときは「やたらでかい電車だなぁ」という印象でしたし、少し細かくみても
国鉄101系の窓・ドア割り+111系(401系)の車幅
という感じで、個性という意味では、国鉄はもちろん他の私鉄にも前例のないHEの方が数段上であることは否めませんので、あんまり好感は持たなかったのですよね、正直なところ。

ただ、今から振り返れば、正面の雰囲気は(旧塗装時代は、車幅の広さが強調されて、印象はだいぶ違いましたが)、正面貫通ドアを含め、それまでの小田急顔を踏襲していましたし、また「戸袋窓は意地でも付ける」といったポリシーが、その後、基本的には3000(2nd.)まで40年続いたというのは、それなりに「名車」だったのだと思います(その意味では、今度のの3000系は寂しいです)。

>> そんなに「怖かった」かなぁ? 名前: 肝高 [2003/07/21,23:20:20] No.262
3号線海側どうぞ & 大根おろし 様

やはり「慣れ」なんでしょうね、こういうのは。

とくに、当時は井の頭線がメインラインでしたので、その旧型電車の窓枠の下側の低さ(図面をチェックしたわけでなく、あくまで「印象」ですが)と比べても、とくに「低い」とか「怖い」という印象は残っていません。

むしろ、当時は、非冷房があたりまえでしたので、夏は、窓が全開してくれない方が、むしろ閉塞感があったような気がします(別のところに書いた「SE車の、エアコンがうるさいのと、涼しいのとどっちをとる?」ということになれば、迷うことなく、涼しい方をとったのと通底してますね)。

冷静に考えてもると、Max型新幹線の、「数10センチ上は超高圧の架線」という2階席の天井や、「10数センチ下は相対速度時速200キロ以上で動いているレール」という1階席の床下の方が、「怖い」という意味ではよほど「怖い」。


画像タイトル 2002年7月 旧小田急向ヶ丘遊園「豆電車」 -(81 KB)
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幻の!?豆電車公開 名前: ABFまにまに [2003/07/20,21:35:52] No.200 ツイート
昨年3月に閉園した向ヶ丘遊園の豆電車が公開されます。
この「豆電車」は、昭和25年に稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)駅と向ヶ丘遊園正門を結ぶ軌道が復活した際に製造された東芝製蓄電池(バッテリー)機関車で、モノレールに替わってからしばらくは園内の遊戯鉄道で使われていました。昭和50年代にSL型のフラワートレインに変わりましたが、車庫の中で20年以上眠っていたものです。
閉園に際して一時は解体の危機にありましたが、現在は鉄道趣味団体がボランティアで保管しています。
このたび東芝科学博物館の夏のイベント「東芝の鉄道夏祭り」で公開されることになりましたので、お知らせいたします。
会場では修復に向けての募金のお願いもあるそうですが、わたしも是非とも協力したいと思います。

只今発売中の鉄道趣味誌にも紹介されてますがご参考にどうぞ。

◆場所   東芝科学博物館
◆期間   7月22日〜9月5日(休館日を除く)
◆開館時間 9時〜17時
◆休館日  土曜・日曜・祝祭日(第2・第4土曜日、春・夏休み中の土曜日は開館)
◆入館料  無料
◆駐車場  あり(無料)
◆場所   神奈川県川崎市幸区小向東芝町1番地
◆交通   川崎駅(東口)東急バス27番のりば(地下出口番号10、11)から乗車「小向交番前」(乗車約10分)下車、徒歩1分
◆電話   044-549-2200
◆URL  http://www2.toshiba.co.jp/kakan/

画像は昨年7月、許可をいただいて撮影したものです。
>> 生きてたんですね、よかった! 名前: 肝高 [2003/07/20,22:03:19] No.204
ABFまにまに様ご無沙汰いたしております。

まだ、生きてたなんて、とんでもない朗報です。

いつも、乗車待ちの列が長すぎて(待っているより歩いた方が、子供の足ですら速い)、1度しか乗った記憶はありませんが。

ところで、中央に集電用軌条みたいなのが写っていますが、電源系が改造されているのでしょうか?
>> 集電用軌条は・・・ 名前: ABFまにまに [2003/07/20,23:11:35] No.212
肝高様、早速のコメントありがとうございます。
さて、ご指摘の軌道中央の集電軌条ですが、これは写真の豆電車に替わって昭和50年代から走っていたSL型の遊戯列車(フラワートレイン)のものです。
豆電車は、SL型に替わってから写真後方の車庫に眠っていましたが、閉園に伴う搬出のとき、庫から引き出して本線?に乗せたものです。現在は車庫も線路も撤去されています。
ちなみに豆電車はひょうたん池の周りを時計回りりで走っていましたが、SL型フラワートレインは、反時計回りで運転していました。ホームの位置も少し移動しました。また、フラワートレインはトンネルを車庫代わりにしていました。
>> 無題 名前: 経堂工場 [2003/07/20,23:12:22] No.213
ABFまにまに様こんばんは。これが噂の豆電車ですか、私が物心ついた頃の遊園アクセス手段はすでにモノレールだったので、遊戯電車として園内を巡回していた時代とは一応重なるのですが、まったく記憶にないのです…。因みにこの豆電車の姿は、雑誌等で懐かしの写真として拝見したことはありましたが、カラーで見たのは初めてです、カラーリングが伝統のオレンジバーミリオンだったとはまた驚きです。余談ですが、新宿の小田急百貨店の屋上にありましたNSE(だったと思いました)の遊戯物ならおぼろげながら記憶にあるのですけどね…。先頭車両に取り付けてありました“ちり紙交換みたいなスピーカー”からちょっとオンチな補助警報が鳴り響いていたように記憶しています。
>> そういえば… 名前: 肝高 [2003/07/21,07:32:25] No.217
ちょっと調べ物があって、昨日図書館に行ったときに、偶然、小田急本で、この豆汽車の写真を見ました。
サイズが小さくて判然としませんが、(たぶん)加藤製のディーゼルロコが牽引していた時代もあったようです。
>> お初です・・・ 名前: なろっこ [2003/07/21,09:57:24] No.220
お初なのに、生意気に意見をのべて失礼します。
豆電車は、戦前は豆汽車とよばれて、アメリカ
製のガソリン機関車(プリムス)が活躍したそう
です。
>> 貴重な情報ありがとうございます! 名前: 肝高 [2003/07/21,11:09:49] No.221
なろっこ 様

 プリムスのGLですかぁ!!
 ただ、道東の殖民軌道(とくに根室線)を調べている関係で、
http://member.nifty.ne.jp/baumdorf/KimuTaka/Kikigaki/Sokumin1.htm
ホイットコムとミルウォーキーのGLには、それなりになじみが深いのですが、プリムスについては、フライホイル+チェーンという特殊な駆動装置だった、という程度の知識しか持ち合わせていません。
 こんなに身近にいたとなると、今度、本格的に調べねば。

 ところで、なろっこ様は、ハンドル通り、ナロー・フリークなのでしょうか?
>> お初2 名前: なろっこ [2003/07/21,12:25:46] No.223
ナローフリークです。
ただ、この掲示板では、板違いなのでこれ以上は生意気なことは
言いませんのでご了承ください。

近々、東芝科学館へ行くことにします。
>> ノスタルジア 名前: shinjuku rainbow station [2003/07/21,13:58:32] No.227
ABFまにまに さん、こんにちは。

このような豆列車が走ってたんですね。向ヶ丘遊園は
幾度と無く行ってはいますが、乗った記憶がないのです。
炭鉱などのバッテリーカーのようなフロントデザインで、
昭和20〜30年代の匂いがしてきます。
生まれる前ですが、懐かしい感じが否めません。
子供の頃、熱海後楽園で豆電車に乗った写真がありますが、
トロッコ部の屋根は同じようなテント張りです。当時の
このような豆電車は皆同じフォルムなんですね。
>> プリムス&川崎 名前: 肝高 [2003/07/21,16:55:43] No.234
各位

 早速、図書館に行って、プリムスの写真を拡大コピーしてきました。
 しかし、改めて本を読み、この写真にくわえてしゅうちゃん様の写真も見てしまうと、何がなんでも見にゆきたくなりますね。
 さいわい、8月頭に、午後から川崎に行く仕事が入ってますので、何とかその後のスケジュールをあけて、博物館にまわってみることにします(できれば、いくばくかのドネーションもしたいし)。
>> 意外と大きい豆電車 名前: ABFまにまに@東芝科学館 [2003/07/22,13:53:18] No.273
ただいま、東芝科学館に来ています。
東芝の工場(研究所)に付帯していて東芝の関係者になった気分です(笑)
さて、例の豆電車は玄関の横(屋外)に置いてあり、標準レンズでも撮影可能です(ストロボもいりません)車両付近には簡単な説明だけですが、館内に入ったところにパネル写真などで説明があります。
ここの説明を読んでいて、自分の間違いに気が付きました。先の投稿で「ひょうたん池」と申しましたが「ボート池」でした。どこで勘違いしたのか、失礼しました。
一見きれいに見える豆電車ですが、近くで見るとさすがに塗装の剥げなどがありますが、この年代の車両がこのような状態で残っているとは、まさしく博物館級でしょう。
今後、動態修復に向けての募金を募るようですが、現在準備中だそうです。近日中に準備が整うようですので、是非協力したいと思います。
見学者は「まにまに系」でないのか、あまり興味を示さないようです。
この豆電車がどこかレトロな街並みの中で復活することを心から願います。
>> 【補足】 名前: ABFまにまに [2003/07/22,18:53:11] No.281
実際に訪れてみて少し付け加えさせていただきます。
(豆電車展示中の休館日)
7月27日、8月3、10、13〜17、24、31日
(科学館までの交通)
JR川崎駅(東口)または京急川崎駅下車、地下街(アゼリア)出口番号10番または11番からバス乗り場へ。
東急バス27番のりばより乗車し「小向交番前」下車、(乗車時間約10分)徒歩1分。
バス停前の工場の門を入って工場内歩道を右に、建物に沿って左に曲がると2つ目の門。
◆バス系統
溝口行(川31)、川崎営業所行(川32)、市民ミュージアム行(川33):運賃200円均一
◆自動車でお越しの方はバス停前の門を入って守衛さんの指示に従ってください。(国道1号線側からは入れないようです)
>> バス追加 名前: 幸区(自家)から徒歩3分! [2003/07/23,22:14:46] No.385
川崎駅から川73(上平間行き/市バス)・川74(上平間行き/市バス)・反01(五反田行き/東急バス)より乗車し「小向交番前」下車OKですよ。
>> お蔭様で… 名前: 肝高 [2003/08/07,16:46:54] No.1089
今日、午後東芝科学館に行って来ました。

なんとなく「昔親切にしてくれた、どこかのおじさんに、やっと再会できた」ような気分で(ABFまにまに様に感謝)、ドネーション用(総額260万円とのこと)の振込用紙ももらってきました。

ちょうど、2階で期間限定の鉄道フェアっていうのが開催されていて、Gゲージ(1/24?)の、この機関車(と客車)も運転されていて、非常にラッキーなタイミングだったようです。

余談ながら、帰りの、きれいな空を眺めながらの「反01」のバスの旅も、結構楽しめました。


画像タイトル img20030720193122.jpg -(192 KB)
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再投稿させていただきます 名前: 3号線海側どうぞ [2003/07/20,19:31:22] No.196 ツイート
NHE車のラストランニングは2670Fになりました。
かつて一度投稿させていただいた写真なのですが、
最後の1編成になった2670Fに思いを込めて再度投稿させていただくことにしました。実に30年前、冷房改造されたばっかりの2670Fです。
この年の2670Fは就役後満6年にも達していない頃で、5000形に続いて冷房改造されたNHE車の中では比較的早い時期に冷房化された編成でした。

1973.6.16/柿生にて
>> 無題 名前: 経堂工場 [2003/07/20,20:12:08] No.198
3号線海側どうぞ様こんばんは。これはまた貴重な!2670Fが逸早く冷房改造した頃、しかも柿生駅待避線在り時代の撮影ですから、とても価値があるお写真ですよね!今回も素晴らしい作品をありがとうございました。
余談ですが、先日新宿駅地上線にてかなり久しぶりに『業務連絡、3号線海側どうぞ 』のアナウンスを聞くことができました。懐かしさもさることながら、何となく他人事じゃないような…?嬉しいような…?何とも不思議な気分になりました。
>> 無題 名前: やじたか [2003/07/20,22:15:06] No.205
こんばんは。ご無沙汰しております。
これまた懐かしい時代の柿生駅ですね。この頃は、N6全盛の時代でしたね。来る電車がN6しかないのかと思えるほどでありました。
>> 無題 名前: 3号線海側どうぞ [2003/07/21,19:00:55] No.242
>経堂工場 様
一昨日久しぶりに新宿方面に出かけてきたのですが、コンコースで2600形のプラレールを販売していましたが暫し見入ってしまいました(汗)
そして帰りがけに急行が入ってきたとき、自動の構内放送と車掌さんの開扉動作のタイミングが合わなかった場合、昔懐かしい放送が有るかもしれない、との思いが偶然にも頭をよぎったんですよ。
経堂工場様!お聞きになられたのですね!?羨ましい!!
聞きたかったなあ・・・(笑)
>やじたか 様
22編成、132両の大世帯だったNHE車もついになくなってしまうんですね。感慨深いものがあります。


画像タイトル img20030720181031.jpg -(44 KB)
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What is this? 名前: たまがわのたまちゃん [2003/07/20,18:10:31] No.192 ツイート
玉川学園駅近くにて撮影しましたこれは何ですか?
>> 無題 名前: 豊田本郷駅 [2003/07/20,18:41:29] No.193
塗油器つまりフランジ(だっけ?)に油を塗る。
これにより競合脱線を防ぐんじゃなかったけ?
チキンチキンっておとするよね。
>> 無題 名前: XYZ [2003/07/20,18:50:23] No.194
私も正式名称は分かりませんが、カーブの手前とかにあるレール用の潤滑油みたいなものの入れ物!?だと思います。
代々木八幡駅あたりには、さすがにいっぱいありますね。
>> 無題 名前: 軍曹 [2003/07/20,22:02:42] No.203
通称アラジンです。


画像タイトル 東海大前−鶴巻温泉間にて -(115 KB)
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2670Fの各停 名前: 週一利用者 [2003/07/20,16:27:52] No.191 ツイート
新松田各停の折り返しの新宿行きです。
N6本来の姿かもしれませんね。
>> 2670Fの各停 名前: チョコボ&黒チョコボ [2003/07/20,18:55:09] No.195
週一利用者様、こんばんは。2600は近郊各停のイメージが大きいですね。小さい頃はよく2600の各停によく乗れましたが、3000系導入が進むにつれ、乗る機会も大分減ってしまいました。70Fも最後まで急行・湘南急行・準急・各停運用とオールマイティーに頑張ってほしいです。
>> 私的には 名前: T.N [2003/07/20,19:37:41] No.197
週一利用者さん、チョコボ&黒チョコボさん、こんばんわ。
私的に2600形は、「急行」ってイメージです。(特に相模大野発片瀬江ノ島行きの急行)
>> 私もそう思います。 名前: ピーポー電車 [2003/07/20,21:44:11] No.202
2600形は、このように『各停 新宿』行や『各停 本厚木』行の印象が強いですね。旧塗装になるとの噂ですが、晩年の平常時を記録するなら今ですね。
明日、探しにいきますか!2600形。


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NSEさがみ号 名前: 経堂工場 [2003/07/20,10:07:59] No.189 ツイート
昭和55〜56年頃の夏休みに新宿発朝一番のさがみ号に乗車した際、終着の小田原で撮ったものです。この当時さがみ号と言えばSSEが“当たり前”だったものか、愛称板がホームベース型時代のNSEさがみ号って結構貴重だったと記憶しています。
>> いえてる^^; 名前: 肝高 [2003/07/20,22:35:57] No.209
経堂工場様こんばんは。
昭和50年代中ごろといえば、小田原への出張の帰りによく乗ったのですが、「さがみ」で、NSEが入線してくると「儲けた」気になりましたね、確かに。


画像タイトル img20030720005830.jpg -(114 KB)
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ややピカピカのNSE 名前: 肝高 [2003/07/20,00:58:30] No.182 ツイート
また出て来ました。
1965年暮れ近く。下北沢−東北沢間。

何分、オレンジベースになる前のネガフィルムですし、退色も著しいのを、強引に補正していますので、絵、色ともウソッポイですけど「5角形ヘッドマーク、屋上フラットじゃなきゃNSEに非ず」。

多分、フジペット35で撮ったと思うのですが、こうやってみると周辺光量落ちが激しいですねぇ。
>> 無題 名前: 西湘急行小田原行き [2003/07/20,07:21:57] No.183
肝高様、おはようございます。
NSEが登場して間もないころの写真ですね。僕は、このようなNSEは見たことがありません。写真では見たことはあるが…(^o^)まだ、非冷房だし、種別表示機が、まだ幕式じゃないし…多少不思議です。
>> 貴重な写真ですね 名前: NSEファン [2003/07/20,09:49:58] No.187
>西湘急行小田原行きさま
冷房は最初から付いていましたよ。容量は少な目でしたが。
窓開かない特急車で非冷房だと大変です。SE車は登場時非冷房でしたがね。
それと表示しているのは種別というよりは愛称でしょうね。
>> なんとなく湿っぽい冷気でしたね、NSEのは 名前: 肝高 [2003/07/21,09:03:40] No.219
冷房・非冷房の件については、NSEファン様のご指摘のとおりです。

SEは、最初のころは、夏は窓を開けて乗っていました。
その後、車両内の対角線の位置にある2席+2席、都合4席を潰して冷房機が入ったものの、近い場所では結構騒々しかったのですが、それでも、涼しい方がよいので、文句も言わずに乗っていましたっけ。
車内での、万世のカツサンドと日東紅茶のアイスティがなつかしい。
>> ご指摘ありがとうございます。 名前: 西湘急行小田原行き [2003/08/04,11:55:56] No.921
 肝高様、こんにちは。
最近知ったんですが、NSEって当初から、床下にクーラーがついていたらしいですね。失礼いたしました。


画像タイトル どう見ても8000形 -(36 KB)
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一目でわかる間違い探し 名前: T.N [2003/07/19,17:29:28] No.170 ツイート
以前に送った写真に手を加えて見ました。
>> 恥ずかしい間違い 名前: T.N [2003/07/19,20:17:10] No.174
上記の文で間違いがありました。
[ 誤り ]見ました
[正しい] みました

一応、「超簡単なクイズ」ということでお願いします。
>> 無題 名前: 東横特急大好き [2003/07/19,20:24:42] No.175
片瀬江ノ島表示の右側の編成番号が2658Fになっている事ですね。
でも、うまく作れていますよ。嘘電とは、思えないような感じがしました。
>> 大当たり〜 名前: T.N [2003/07/19,20:38:14] No.176
東急特急大好きさん、ご回答ありがとうごさいます。
実際のナンバーは8256です。(並び替えただけです)


画像タイトル img20030719140710.jpg -(51 KB)
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謎のモックアップ 名前: 経堂工場 [2003/07/19,14:07:10] No.168 ツイート
あれは確かLSEが小田急に搬入された年のこと、実車がなかなか経堂に姿を現さないことにしびれを切らせ、遥々大野工場まで探し行ったのですが、残念ながら発見には至りませんでした。が、その代わりに謎のモックアップを見つけ撮った写真がこれです。カバーがかかっているので何の車両だかはわかりませんが、ロマンスカーであることは間違いありませんよね。
>> たぶん・・ 名前: 伊那路 [2003/07/19,18:30:29] No.171
LSEじゃないですか?搬入された年ですし、形も似てますから。NSEとかだともう少し丸っこいような気がします。
>> 多分間違いないです 名前: 大根おろし [2003/07/19,21:01:07] No.180
 経堂工場様こんばんは。これはまさしくLSEです。当時私は中2で大野に住んでいる友達とこれを見に行った憶えがあります。小田急としてもNSE以来久々の新形式のロマンスカーとして注目度は凄かったですね。私もイラストや色々な情報を得て自分でイメージ図を描いて騒いでいたような気がします。

 その後このモックアップは向ヶ丘遊園に搬送されて売店になったとか・・・。確か最近ネ○パブリッシング社が保○社に代わりリバイバルで刊行した「私鉄の車両」に売店時代のショットが掲載されていたと記憶しています。またモックアップ建造中の姿は、山と○谷社の「私鉄レールハンドブック」にカラーで掲載されていたと思います。
>> LSEのモックアップです 名前: 西口靖宏 [2003/07/20,22:20:49] No.206
経堂工場様、今晩は。
これは、LSE車のモックアップです。
当時は、新型特急XE車と称されておりました。


画像タイトル img20030719133629.jpg -(136 KB)
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無題 名前: たまがわのたまちゃん [2003/07/19,13:36:29] No.164 ツイート
残り一編成ですね。
>> 無題 名前: 島線利用者 [2003/07/19,13:58:40] No.165
たまがわのたまちゃん様こんにちは。N6も本当に見なくなりましたね。一年前は3000よりも在籍していたのが今はたった一本・・・。最近は3000のほうがよく見ます。ところで今日のN6の運用をご存知の方、よかったら教えてください
>> 気が付いたら! 名前: 大根おろし [2003/07/19,20:48:53] No.179
 たまがわのたまちゃん様、はじめまして。宜しくお願いします。

 皆様2670Fの運用について毎日ご苦労なされていらっしゃるようですね。実は私は今週木曜日(17日)に急遽休暇が取れたので、祇園祭の山鉾巡行を観に京都に行くため、小田原発7:07のひかりを目指して大学前発6:22発の各停小田原行きに乗りました。早朝ゆえ最初は寝惚けていて気が付かなかったのですが、はっと気がついたらこの編成でした。もしかしたら此処の何方かがカメラに収められていたかもしれませんね。先頭車の窓越しに居眠りで揺れ動く私の後頭部が写っているかもしれません(笑)。

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