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 小田急アルバム 687


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ロマンスカーはこれ!! 名前: c59182 [2008/11/21,22:50:40] No.17065 (219.124.249.110) ツイート
昭和の戦中派のロマンスカーは、やっぱりSE車。

この画像の車両のオレンジ色は他のSE車と違い、赤っぽいオレンジ色でした。
巡回中の保線区係員さんに断ると、この場所まで同行してくれました。

昭和37年5月


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季節外れですが・・・ 名前: たけとらじろう [2008/11/16,19:47:07] No.17064 (222.13.214.87) ツイート
相武台前〜座間の例のお立ち台にて
08・04・06
ちなみに白い点は風に舞う花びらです


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小春日和の富士見坂 名前: 湘南台急行 [2008/11/13,21:10:35] No.17063 (124.255.93.39) ツイート
江ノ島線内では数少ない富士見スポットにて。肝心のHiSEは殆ど写ってませんが‥

2008/11 @善行付近


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2200形 名前: 大月みーな [2008/11/08,21:51:09] No.17059 (210.228.40.117) ツイート
やっとスキャナーが使えるようになったので、試しに載せてみました。
これは相模大野に保存されていた当時の2200形です。今はこの色ではなくなってしまいましたが、私はこの方が好きでしたねぇ。これの撮影当時はまだデジカメは普及していなく、俗に言う使い捨てカメラで盗撮?したものです。動く車内から撮るのは難しく、写真の中心がずれているのはご愛嬌ということで・・・。


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改造中? 名前: odakyuchitohuna [2008/11/07,19:08:54] No.17057 (124.214.246.201) ツイート
8057Fです。
どうやら、更新中みたいですね。

情報お願いします。
>> 8057Fについて 名前: ひろき [2008/11/07,20:32:00] No.17058 (210.194.49.235)
更新工事が終了したら定検に入るそうです。
なので、営業運転開始はしばらくかかるでしょう。
8051Fと同じような不具合が起きないといいですね。。。
>> 営業運転開始 名前: ひろき [2008/11/24,15:41:33] No.17073 (210.194.49.235)
8057Fが営業運転を開始しました。
8257Fとコンビを組んで運行中です。


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無くなった列車名 名前: c59182 [2008/11/05,23:00:10] No.17055 (220.208.84.49) ツイート
かってはこの「あしのこ」の他「みょうじょう」「きんとき」「おとめ」等の名称がありましたが、多くの列車名では乗客や職員が分かりにくいため、昭和39年秋のダイヤ改正で整理されました。

1962年2月 玉川学園前
>> 乙女は… 名前: odakyuchitohuna [2008/11/07,19:05:52] No.17056 (124.214.246.201)
へぇ〜。ロマンスカーの愛称って、昔はいっぱいあったんですね。『おとめ』といえば、海老名に保管されているSE車のフロントガラスの下にシールが貼ってありますね。でも他の愛称は知らなかったです。
>> 確か… 名前: スコッチ [2008/11/10,20:53:34] No.17060 (218.43.77.141)
昔は1本1本愛称が違っていたんじゃないですかね。
かつての東海道急行と同じように、座席の予約が電話連絡に頼っていたための措置でしょうか。
>> あしのこ 名前: NSE3100 [2008/11/10,21:41:48] No.17061 (60.62.102.159)
自分が物心ついた頃にみた電車の本に、NSEの「あしのこ」を
見たことがありましたが、当時は既にこの愛称はなくて「あしがら」
の間違い?と思ったことがありました。
短命の愛称だったのですね。
最近で言えば「サポート」みたいなものですかね。


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江ノ急併結64年頃 名前: すず風 [2008/11/01,21:14:56] No.17049 (218.229.182.58) ツイート
こんにちは。 c59182さんの記事17045の時期から少し下って私は安直な写真を撮り始めています。沿線開発で利用客急増期、江ノ島急行はABFM重連になっており、大野では客扱い後に湯本からのHEを新宿方本線上に出て待ち受けます。なお、HE2400型は15m+19mの車体の連結面間全長では68mではなく70mであり、ABFM車17.5mの規格に揃えられています。この年2600型が固定5連100mで各停専用として登場し、105mのABFM車6連をはるかに凌ぐ輸送力を発揮しました。
>> 併結 名前: EF57 4 [2008/11/02,08:31:03] No.17053 (118.109.193.11)
ありましたね。一度ドアを開いて客扱いをした後に本線上に出てから、湯本急行が入線した後にバックしてきて連結していましたように思います。小生が1964年製ですから1970年頃までそんなことをやっていたのではないでしょうか?
>> 相模大野駅が 名前: c59182 [2008/11/02,10:20:39] No.17054 (202.72.70.32)
改良するまでありました。

大野駅改良前は江の島線から直接上り3番線には入線できませんでした。
改良された後、直接3番線に進入できるようになり停車時間の大幅な短縮が図られました。(改良前は大野で約8分の停車時間がありました)
昔は「江の急」が大野まで比較的空いていましたので、事情を良く知る乗客は「江の急」が到着すると速やかにそちらに乗車し、座席を確保しておりました。
>> 懐かしい 名前: NSE3100 [2008/11/10,22:03:03] No.17062 (60.62.102.159)
この時代の記憶は微かながら残っています。
国道16号の陸橋あたりで、上り線を逆走するのは今思えば
貴重な体験だったと思います。
上り列車なのに2200形の連結面の方向幕は「江ノ島」を表示
していますが、手動幕はこんな風にしていたんだなと、この写真を見て
思い出しました。


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NSE 3100型 名前: c59182 [2008/10/31,22:38:44] No.17048 (202.72.70.32) ツイート
名鉄のパノラマカーに遅れをとったものの、有料特急だけあって、さすがに車内はパノラマカーより豪華でした。(当時は)
若き頃の私などは、「走る喫茶室」の日東紅茶(三井農林)お姉さまに憧れを抱いたものでした。

1963年10月 鶴川〜玉川学園間


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LSE 名前: EF57 4 [2008/10/30,08:58:41] No.17046 (122.135.221.239) ツイート
まだこの色、走っていたんですね。

H20.10,29 代々木上原駅
>> 当初は 名前: NSE3100 [2008/10/30,22:45:14] No.17047 (60.62.102.159)
今年の3月までとアナウンスされていましたが、内外から
そのまま≠チて声が多かったから残されたのでしょうね!
私も同様の意見です。


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郊外電車 名前: c59182 [2008/10/25,19:28:12] No.17043 (202.72.70.32) ツイート
4両編成の急行「新宿行」、1962年2月撮影。

当時小田急の主力は、クハ15m×2、デハ19m×2の全長68mのHE車でした。
この時代20m車の10両編成の急行が登場するとは誰が想像したでしょうか。
当時は成城を過ぎると、武蔵野、そして多摩丘陵を走る郊外電車の時代でした。
>> ’62.2 ですか 名前: 3号線海側どうぞ [2008/10/27,21:32:36] No.17044 (125.55.235.174)
雪の中を撮影されて、凄いです。
あのころの湯本・江ノ島併結の急行は2+2だったですね。
HE車4両の急行は、今の10両固定に匹敵しそうです。
雪のために前照灯も点けていますし、通過表示等、急行板とフルスペックの疾走で、最高です。
HE車の急行はこれから境塚隧道に入るところですか?
>> 訂正を 名前: c59182 [2008/10/28,13:06:07] No.17045 (202.72.70.32)
「3号線海側どうぞ」さん こんにちは。

この上り急行は、これから玉川学園の敷地の下にある隧道に入り鶴川へ抜けていきます。
ひとつ訂正ですが、この時代(昭和37年頃)は日中の「江の急」の運転は無く、従って併結急行もありません。小田原・湯本方面の急行はABF車またはHE車を含むABFM車の4両編成でした。
「江の急」は朝夕のラッシュ時のみの運転でした。その後1964年頃から日中も運転され、併結急行が終日見られるようになりました。但し「江の急」はABFM車のみの使用、そして2両編成でしたので、夏季の快速急行に充当されるまでHE車の「江の急」運用はありませんでした。
そして運転間隔は30分間隔ですので、同じく30分間隔の「湯本急行」と併結され「湯本・江の島」急行が最終新宿発16:35発まで、毎時5分・35分発車で見られました。湯本直通が16:35発で終了した後は「小田原急行」に併結となり、新宿発19:35発が最終(一寸不確かですが)運行となっていました。

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