小田急アルバム 708 |
駅撮りです。
コンデジのデジタルズームなので画質はご容赦ください。
4000形2編成が確認できました。
今日海老名に行くと、小田急では久しぶりのヘッドマークつき車両がいたのでUPします。
4000形2編成が確認できました。
下りの5000形を待っていると、上りばかりが来ます。トンネルへ向かう坂道です。
H22.9.15 鶴川−玉川学園前
1700形は初代ロマンスカーとして脚光を浴びたようですが、2300は過渡期ということもあり特急車として運行された期間は短かったようですね。この2320形に至ってはカルダンながら最初から”準”特急用で不遇の車両です。両開きドアから片開きドアに改造された車両というのも珍しいのはないでしょうか。
昭和51年 新原町田駅
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町田になる直前ですね
名前: NSE
[2010/09/16,20:29:01] No.17431
小田急百貨店が開店して駅名が町田になったのが昭和51年(1976年)の確か9月でしたから、その直前の撮影のようですね。 |
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新原町田駅
名前: EF57 4
[2010/09/17,13:34:54] No.17432
NSEさん |
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1976年の4月で正解です!
名前: NSE3100
[2010/09/17,20:17:59] No.17433
EF57 4様 |
張上げ屋根が異彩の晩年の小田原ローカルですが、元は全面二枚窓の姿で箱根特急の花型でした。夏の夕方は納涼「夕月」で走り、指定乗車券を発行しながら運賃のみ(195円)というのは主要駅停車で速度が低いための遠慮でしょうか、ビールも飲める大サービスが、江ノ島納涼「すず風」(2300型)ではSE車時代まで続いた夏特番でした。特急車の近郊駅停車は珍しかったのに夕暮れ運行で写真が殆ど残っていないのは残念ですね。
昭和36年1月17日午前7時20分頃、和泉多摩川第2踏切で下り各停「向ケ丘遊園行」のHE4両編成と、警報無視の大型ダンプカーが衝突、電車の先頭車クハは多摩川の川原に転落、2両目のデハは鉄橋上から宙吊りという大事故が発生。(乗客の死者は無し、ダンプの運転士は死亡)
成城〜向ケ丘間が上下線不通、線路上に残った2両の車両を回収するため、架線電気が無くても走行できるキハが救援車として出動しました。
国鉄には以前から機関区・電車区に古い車両を利用した救援車が存在しましたが、小田急には救援車など常備されておらず、この救援車の運行版は通常はどのようにしていたのか、今もって不思議です。
2両目のデハが宙吊りになった理由は、HE車は固定編成のため前後のクハの運転台方向以外は全て固定連結器で連結されており、そのため自連や密連のように簡単に切り離しが出来なかったようです。
キハ5102+キハ 和泉〜登戸 昭和36年1月
この辺りはカーブが続きます。
H22.7.21 鶴川−玉川学園前
とても久し振りに5000形の10両編成を見ることができました。
嬉しかったです。
8/8、鶴川駅で撮りました。
後ろは3000でした。
H22.7.25 町田駅
最近はステンレス車が幅をきかせておりますが、たまに白色の10両編成を見ると懐かしくなります。
5000×6+8000×4 下り快速急行 新百合ヶ丘駅 2010−7
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