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 小田急アルバム 713


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小田急電鉄1800形
1800型 名前: C59182 [2011/06/19,22:24:57] No.17529 返信
63型の車体部分を改造した1800型、夏は暖房冬は冷房(間違いではありません)の良く効いた小田急車両の中で、唯一冬の暖房が大変良く効いた車両でした。
冬季の早朝、新原町田から上り準急に乗車し、座席に座ると尻の下からポカポカと暖かい暖房がして、その内睡魔に襲われ登戸を過ぎて多摩川を渡る轟音で目が覚めます。
発車してからの吊掛け駆動の重たいモーター音、いかにも旧国鉄のヘビー級車両という感じでした。

クハ1851 上り準急 相模大野駅 昭和38年10月
>> 訂正します。 名前: C59182 [2011/06/19,22:27:37] No.17530
昭和38年は間違いで×
昭和37年が正当でした。


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小田急電鉄2000形
代々木八幡 名前: EF57 4 [2011/06/09,20:25:10] No.17526 返信
和泉多摩川−梅が丘間は高架化、複々線化され、開かずの踏み切りもようやく解消され、優等列車もスピードアップが計れたと思います。ただ駅もきれいになりまた高架線で街と鉄道が切り離された感じもします。この区間は複線で特急・急行もゆっくりですが、特に代々木八幡界隈は何か昭和の味わいが残る趣のある区間です。

H23.6.8 代々木八幡−参宮橋
>> 「春の小川」 名前: C59182 [2011/06/10,09:29:06] No.17527
確か「春の小川」の歌詞のモデルになった処だと思います。(小川は現在暗渠になっていますが)

近くには外国大使館等もあり、新宿という大都会の近所ながら閑静な住宅地ですね。
>> 春の小川 名前: EF57 4 [2011/06/10,22:55:52] No.17528
C59182さん
コメントありがとうございます。調べてみると確かに「春の小川」のモデルとなった辺りのようですが、今や見る影もないですね。元の河骨川という川の源流がこの辺りだそうです。


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小田急電鉄2200形
江の急の入換 名前: C59182 [2011/06/02,21:42:01] No.17524 返信
昔は相模大野駅で小田原線電車と、江の島線電車との分割・併合が、のべつ行われておりました。

これは江の島からの急行新宿行で、大野の上り4番線に到着(江の島線上りからは大野駅上り3番線へは直接進入出来なかった)し、客扱い後一旦町田方に進行し、更に上り3番線に後退して湯本(又は小田原)からの急行電車の新宿方に連結するところです。

現在は湘南急行で20m車の10両編成が走行している江の島線急行も、一昔前は18m車の2両編成でした。
前方の陸橋は国道16号線、また大野駅は駅本屋や改札口が山側にあり、小田原方に構内踏切がある時代です。

クハ2225 上り急行 相模大野駅 昭和37年10月
>> 江ノ急 名前: EF57 4 [2011/06/06,21:46:21] No.17525
2連時代は存じ上げませんが、小生が物心ついた頃はまだHE車が、”4番線から進んで3番線に戻って”をやっていた記憶がありますので、昭和40年代初頭はまだそんなことをやっていたようです。


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小田急電鉄4000形(2代目)
4000型 名前: C59182 [2011/05/12,15:24:44] No.17518 返信
古い人間の為「4000型」と聞くと一瞬「パイオニア台車」を穿いた旧車を思ってしまいますが、新4000型を見て3000型と同様戸袋窓がなくなったのを残念に思います。
標準化ということで無くなったようですが、次代に登場する通勤・通学用車両には是非復活させて欲しいものです。
EF57さんが良く撮影する場所?のようです。
この車両には「スタンプラリー」のラッピングが貼られておりました。

下り急行 鶴川〜玉学 2010−9
>> 4000形 名前: EF57 4 [2011/05/13,08:54:22] No.17519
昭和50年代に江ノ島線民だった小生も@吊りかけA非冷房B3連というインパクトのある旧4000形のイメージが強く、4000形というと旧4000形を思い浮かべてしまいます。
>> お邪魔します 名前: 3号線海側どうぞ [2011/05/13,23:00:09] No.17520
初代4000形には、1800形と連結された5連、そして通勤急行の8連が今では懐かしく思い出されます。新原町田で満員になると急に加速度が落ちてしまう。玉学への下り坂あたりからやっとスピードが乗ってきて・・・
一方、新4000形。
新しい複々線時代を見据えた、過去の「すし詰め時代」とは違った思想が感じられます。
そして、悲しいですが現5000形も行く末が見えてきて、
新5000形はと、考えてしまいます。
過去の、5000という形式は小田急にとっては、何かと意味のある形式でしたね。
規格型とは違った、小田急らしい5000形を期待しています。
EXEからVSEになったように。
>> 次世代は 名前: C59182 [2011/05/14,09:12:02] No.17521
EF57さん、3号線さん、お早うございます。

コメントを有難うございます。
旧型4000は私も随分といろいろな思い出があります。HB車改造での外側ディスクブレーキの装備、そして1800型との併結による2度の脱線事故、この事故では小田急利用の社員の出勤が出来ず、仕事に大いに差し障りがありました。

その後HE車からの部品等でカルダン車への再改造と冷房設備の取り付け、これでどうやら一人前の車両にはなったものの、私の中からの「悪いイメージ」は中々抜け切れませんでした。そんな4000型もいつの間にか居なくなってしまいました。

3号線さんの仰る次代の5000型?(そういう形式になれば良いのですが)は是非標準型を抜け出して欲しいものです。小田急独自のスタイルが欲しいなぁと思います。
昔は1700型とか2100型、そして2200型のような私から見れば素晴らしいデザインの車両を登場させ、更にスピードアップを図っていましたが、現在複々線が梅ヶ丘〜和泉まで完成しているにも拘らず、何度か急行に乗車しましたが時速100`を出したのは一度もありません。
せめてこの区間だけでもスピードアップを考え(30秒位のアップでしょうが)、昔のような新宿〜小田原間特急最速62分運転になって欲しいものです。(今年は節電の影響で力行を早めにOFFにするかも?)
先日東武に乗車しましたが、複々線区間では100`運転が当たり前のように行われており、羨ましく感じました。


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小田急電鉄8000形
走るギャラリー号 名前: EF57 4 [2011/05/05,21:40:05] No.17517 返信
昭和59〜62年まで運行された(らしい)”走るギャラリー”号。偶然に遭遇したようで、申し訳ないのですがほとんど記憶がありません。

昭和59年 向ヶ丘遊園?
>> この電車は… 名前: マサ [2011/05/18,21:06:28] No.17522
昭和59年の春から62年の夏まで運行してました。これは登場してから数ヶ月間の旧ヘッドマークを付けての貴重な姿ですね。途中からポケット号の愛称が付き、カンガルーのイラスト入りのヘッドマークに変わったので。
>> ポケット号 名前: EF57 4 [2011/05/21,08:10:27] No.17523
マサさん
詳細な解説をありがとうございます。途中でヘッド・マークが変わっているんですね。AGUI NETは東海地方を中心に活動されている方が多く参加しているように思いますが、小田急にとても詳しい方が多いので驚きます。


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小田急電鉄2000形
2000型 名前: C59182 [2011/05/04,18:37:07] No.17516 返信
各停や区間準急に使用されて活躍中。

部外者から見ると、6両編成の3000型を4両製造して10両編成にするより、8両編成の2000型を10両にする方が経費が掛からないのでは?と考えてしまいますが、3000型の方が製造年月日はずっと新しいですね。

この2000型、運転室側の車番がボディと同系色のため、撮影した際に番号が見難いのが玉にキズです。

上り各停 玉学〜鶴川 2010−9


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小田急電鉄7000形
ロマンスカー復活 名前: はこね [2011/04/17,16:39:22] No.17506 返信
発売が再開された11日の午前10時に再開初日の臨時51号の前展望を狙いましたが取れず、後展望13Aの席で新宿〜湯本間乗車してきました。湯本に到着すると旅館のスタッフの皆さんなどから盛大な歓迎を受け、関係者が揃って記念撮影もしていました。テレビカメラも多数来ていました。ここまで華やかに迎えられるのは私の予想以上で、いかに箱根がロマンスカーを待ちわびていたかが伝わってきました。


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小田急電鉄10000形
祝 ロマンスカー運転再開 名前: C59182 [2011/04/17,15:52:45] No.17505 返信
4/16よりロマンスカーの運転が再開されたようです。

行楽や通勤で使用していた利用者にとっては、明るい話題のようです。
小田急勤務の甥の話では、電力制限の為まだまだ以前のような運転状況にはなっていないそうです。

HiSE 10000型 はこね16号 箱根板橋〜小田原
>> 穿った見方かもしれませんが 名前: 3号線海側どうぞ [2011/04/18,22:04:57] No.17507
テレビニュースでも報道されていた復活ですが、
今年の夏が、本当に本当に心配です。
通勤電車の全車が「弱冷房車」になりそうで・・・
>> 車内の室温調整 名前: C59182 [2011/04/19,09:37:23] No.17508
お早うございます。

仰るとおり今夏は車内冷房温度を調整するような話題も出ているようです。(確定ではないようですが)
私のような70歳近い年寄りでは、室温が高いとチョッと体力的に厳しいですが、「3号線海側どうぞ」さんのようなお若い方々ならひと夏ぐらいは十分乗り切れると思いますよ。
頑張って下さい。
>> C59182様 名前: 3号線海側どうぞ [2011/04/20,22:27:53] No.17509
夏は辛いのは私も同じですょ(大汗)&(苦笑)
何せ、5000形冷房車、5059Fがデビューしたのが高2でしたから。
当時の冷房車は「思う存分」冷やして寒いくらいでした。
東電の体質には言いたい事が沢山ありますが、照明が減らされている都内の薄暗さが、日本古来の陰影の美しさが感じられる、という見方も有りますね。
家庭にも電車にも冷房が無かった時代を思い起こす良い機会かも・・・
そう思うしかないかなぁ・・・
冷房の強制的な節減がヒートアイランド現象の減少なったりして、なにか考えさせられる夏になりそうですね。
>> 今まで 名前: C59182 [2011/04/22,09:59:30] No.17510
お早うございます。

今までが贅沢過ぎたのかもしれませんね。資源の乏しい日本でアメリカ並の生活はやはり背伸びなのかなとも思います。
私の子供の時代は食糧難、そして停電など突然やって来ましたし、我家には冷蔵庫もちろん扇風機さえ有りませんでした。
電車は昼間は車内は消灯が当たり前、何時の時代から明るい昼間でも煌々と車内灯を点灯し始めたのでしょう?
冷房が当たり前になった現在、今年は窓を大きく開けて自然の空気を十分取り入れるのも良し、またギンギラの街中も節電で多少の暗さも一つの「趣」になると思います。
>> 5500万キロワット 名前: 3号線海側どうぞ [2011/04/24,11:00:26] No.17511
C59182 様
本当に生活習慣や電気の使いすぎには反省させられます。
例えばですが、山手線で新宿に差し掛かったとき、西武新宿からJR東口にかけてのネオンの多さ、眩しいくらいの明るさには以前から「これでいいのだろうか」と感じていました。
東電はこの夏、5500万キロワットまで確保の計画を示しましたね。
東電発表の「電力の使用状況グラフ」では昨年の同時期に比べるとかなり減っていますし、今年の夏は、節電を徹底すれば何とか乗り切れそうでホッとしました。
>> 室内消灯がデフォルト 名前: すず風 [2011/04/24,23:24:30] No.17512
ホーム上屋も少なかった頃、下北沢だけは駅進入時に点灯していました。たまに隧道で点け忘れて暗黒の車内というのも愛嬌でしたね。車体デザインでも戸袋窓を遅くまで頑固に残していたのは採光のため、と書かれており好感でしたが、やがて人並みの車体になりました。構造単純化と、どちらがエコなのでしょうね。
>> 間もなくトンネルへ 名前: C59182 [2011/04/25,09:26:11] No.17513
まだ冷房が無かった頃の小田急線、5月頃から窓を開けるようになり、6月からは2段窓は全開状態、下り急行に乗車して鶴川を過ぎると車内放送で「間もなくトンネルへ入ります。お帽子など飛ばされないようご注意下さい」と親切な案内放送があったのを覚えております。
その頃は登戸を過ぎるともう「郊外電車」でしたので、現在のような通勤電車ではありませんでした。
車内灯の点滅は運転士がやっており、最後部車両がトンネルを抜け終わらない時に、車内灯が消灯することも度々ありました。
>> 鶴川といえば 名前: 3号線海側どうぞ [2011/04/25,21:48:28] No.17514
C59182様
鶴川を過ぎて「間もなくトンネルに入りますので・・・」という車内放送、懐かしいですね。同じアナウンスは渋沢を発車して暫くしても・・・
ところで、
鶴川といえば、特に夕刻以降は全開の窓から聞こえてくる「蛙の合唱」も懐かしいです。居眠りしていても、文庫本に読み入っていても、「鶴川通過中だな」と分かりました。
>> 採光もエコや趣きですね 名前: 3号線海側どうぞ [2011/04/26,22:07:59] No.17515
すず風様
小田急には戸袋窓にそのような思い入れがあったのですね。
今日、朝の各停が2000形でした。
戸袋窓をしげしげ見てしまいました。
ドア窓から戸袋窓、一段落とし窓へと、景色の流れが中断しないのが戸袋窓の存在が大きいと再認識させられました。
両開きドアのステンレス車から某社は戸袋窓をやめてしまいましたが、つい最近の2000形まで存続してきた小田急に拍手です。


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小田急電鉄
海老名検車区 名前: EF57 4 [2011/04/14,14:45:10] No.17504 返信
運行再開間近のロマンスカーですが、昨日は海老名にEXEが6〜7本寝ておりました。大野にはLSEが1本いたようです。

H23.4.13 


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小田急電鉄8000形
8000型 名前: C59182 [2011/04/13,15:35:41] No.17503 返信
珍しい?8000型の10両編成、傍を通過する時に分りました。

もっとサイドから撮影すれば良かったのですが。

上り急行 玉学〜鶴川 2010−9

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 小田急アルバム 713

 

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