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 小田急アルバム 623


>>一つ先にすすむ

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ブレブレですが 名前: しゅうちゃん [2006/06/29,21:26:52] No.15334 (61.24.197.66) ツイート
2100の茶の時代の写真が有りました。当時は新鮮に見えましたが‥‥。昭和37年頃と思います。梅ヶ丘〜世田谷代田
>> 走行写真は難しかったです 名前: C62 44 [2006/06/29,21:46:34] No.15335 (219.110.187.14)
1/250のシャッターでは、角度とスピード具合でどうしても先頭がブレてしまいましたね。
1/500を使ってその分絞りを開ける手があったのですが、私も被写界深度を増すため絞り込むので、どうしても1/250が限界となってしまいました。当時はf1.8レンズが標準だったのでもっと絞りを開ければよかったのですね。
ところで、ノーシルノーヘッダーの茶色で張り上げの2100は何か海坊主の印象がありました。ここは私もよく撮った場所です。
>> 海坊主といえば−−−。 名前: c59182 [2006/06/30,21:09:36] No.15336 (219.124.250.129)
皆様こんばんは。
ノーシル・ノーヘッダー車で茶塗色といえば、東では小田急2100型、西では大阪鉄道管理局宮原電車区配属のクハ76型でしょう。
大阪のファンはこの横須賀型を「茶坊主」と呼んでいたそうです。
昔のことなので、私は実物を見ることが出来ませんでした。
小田急の方は、C62 44様の「海坊主」とでも呼びましょうか?


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玉川学園前 名前: c59182 [2006/06/28,20:41:30] No.15332 (219.124.250.129) ツイート
昭和37年の玉川学園前駅での2100型です。
更新前のため、窓枠はもちろん木製でした。
この当時成城を過ぎると、新原町田までの各駅は百合ヶ丘以外はもうローカル線の駅のようで、ホームから駅舎へは線路を横断しての乗降でした。(登戸、向ヶ丘を除く)
しかしここ玉川学園駅は、昔から大勢の学生の乗降があり、線路を横断せずにすみました。この頃のホーム有効長は6輌編成でした。
因みに小田急の自動改札のテストも、玉川学園の協力によりこの駅で行われました。


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1900 名前: しゅうちゃん [2006/06/27,00:59:20] No.15327 (61.24.197.66) ツイート
茶色で木製窓枠時代のこの形がすきでした。昭和38年経堂車庫
>> 木製窓枠 名前: c59182 [2006/06/27,12:20:00] No.15329 (219.124.250.129)
木製窓枠、懐かしいですね。
昭和20年代〜30年代前半は、アルミやステンレスは超貴重品でした。
どの電車も窓枠や、ドア−枠は木製で、電車によっては雨天時窓枠から雨しずくが垂れてきたりしました。
けれどもアルミ枠に変えられる以前の姿は、重厚なドッシリした感じでした。
1600型も木製窓枠時は素敵でしたが、アルミ枠窓に更新され窓枠ばかりが目立つようになり、魅力がなくなってしまいました。


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今度はきれいな写真を 名前: C62 44 [2006/06/26,21:51:41] No.15323 (219.110.187.14) ツイート
2100とHE車です。
2100は前面がHゴム化されています。NO.15322の2100は茶色から2色に塗装変更の直後と思われます。私の持っている昭和36年撮影の2100は茶色でした。
ところで2100を追い抜くHE車は快速準急の看板をつけていますが「快速準急」なんてあったかしら。どうも記憶が・・・
>> 快速準急 名前: c59182 [2006/06/26,22:03:39] No.15324 (219.124.250.129)
C62 44 様
快速準急は昭和40年頃登場しました。
停車駅は、新宿・下北沢・経堂・成城・登戸・向ヶ丘、以遠は急行と同じ停車駅でした。
廃止になったのは、私も記憶が定かではありません。30分毎に1本発車していました。行き先は殆ど「小田原」でした。
>> 準急との違いは? 名前: C62 44 [2006/06/26,22:28:42] No.15325 (219.110.187.14)
早速のご教示ありがとうございます。
向ヶ丘遊園までは準急と同じ停車駅ですよね。
快速準急と準急の違いって何だったのでしょう。
>> 記憶に頼ってですが・・・ 名前: 通勤急行は登戸停車 [2006/06/26,23:35:54] No.15326 (218.227.203.10)
準急は朝夕のラッシュ時のみ運転され、成城から先が各駅停車だったと思います。休日ダイヤは分かりません。
快速準急は小田原行きだけでしたが、準急は、江ノ島や相武台前行きもありました。


>> 停車駅追加 名前: EF62 [2006/06/27,09:23:49] No.15328 (222.225.104.248)
快速準急は、新宿発車後準急と同じ停車駅で向ヶ丘遊園からは、読売ランド前・柿生、後は急行停車駅でした。
>> 快速準急と言えば・・・ 名前: NSE3100 [2006/06/27,22:37:46] No.15331 (60.62.101.64)
私自身は2600形のイメージが強いですね。
写真の2400形は急行:箱根湯本行の印象が
強いので、快速準急は意外な感じです。

c59182様
私の記憶が正しければ、快速準急が廃止されたのは、新宿駅の
2回目の大改良工事が始まった1972年頃だったと思います。
それから「湘南急行」「多摩急行」が出来るまでの長期間
「急行」「準急」「各停」の時代が続きましたね。
>> 停車駅は 名前: 2666 [2006/06/29,18:58:03] No.15333 (210.162.6.214)


快速準急が登場したのは1964年です。廃止はNSE3100さんの言うとおり1972年。

「準急との違い」は、とてもややこしいのですが、当時成城以西各駅停車だった昼間の準急を、より遠距離客優先の列車に置き換える形で、快速準急は登場しました。それまで、登戸以西の各駅停車は朝夕に走っており、通勤準急と呼ばれていたのですが、快速準急登場により、昼の準急がなくなったために、ただの準急に名前が変わったのです。

1964年以前は
<昼間>(準急)下北沢、経堂、成城以西各駅
<朝夕>(通勤準急)下北沢、成城、登戸以西各駅

1964年以降は
<昼間>(快速準急)下北沢、経堂、成城、登戸、向ヶ丘、町田(ランドと鶴川は土休日)
<朝夕>(準急)下北沢、成城、登戸以西各駅

複雑ですね。

▽こちらが詳しいです
http://www.jah.ne.jp/~uchu/kt/oerdia/



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小田急最後の釣り掛けモーター 名前: c59182 [2006/06/26,19:56:53] No.15322 (219.124.250.129) ツイート
連投になりすみません。
この後に登場する、高性能車の準備としてノーシル・ノーヘッダーボディの2100型が、小田急最後の釣り掛け式で登場しました。
ただ尾灯兼通過表示灯が埋め込み式でなく、ボディー外側に釣り掛けてあるので、折角のノーシル・ノーヘッダーのボディがイマイチになってしまいました。
昭和37年の東林間駅で、当時は4輌編成がやっと停車できる駅でした。


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ひどい写真ですが 名前: C62 44 [2006/06/25,19:06:45] No.15319 (219.110.187.14) ツイート
2220の急行箱根湯本です。
シャッターは遅いし粒子は粗いし人前に出せる写真ではないのですが、一応なんとか撮った昭和30年代の写真です。
  下北沢〜世田谷代田
>> 記録です。 名前: c59182 [2006/06/26,09:54:50] No.15320 (219.124.250.129)
C62 44 様
ネガの劣化は仕方ありません。昭和30年代は現在のようにデジカメ、高感度カラーフィルムが無い時代、それこそ銀塩カメラも貴重品の時代です。
趣味人の記録として残しておければ良いと思います。
パソコンが普及して、自分の記録が見ず知らずの方に見ていただける時代になって、良かったと思います。
私も劣化しつつあるネガを、早くパソコンに登録しようと思っていますが−−−。


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昭和の代表的な通勤車 名前: c59182 [2006/06/24,21:09:11] No.15314 (219.124.250.129) ツイート
初の高性能車2200型は、オールMの2輌編成で製作されました。
その後、製造費の軽減を図り製作されたのが、この2220型4輌編成です。
新宿〜湯本間の長距離運転のため、ロングシート車ながらトイレ付きといった車輌でした。
その後4輌編成のHE車が登場し、4+2の6輌急行編成作成のため、2輌+2輌に改造され、最終的にはこの編成も2輌、2輌のバラバラにされてしまいました。
>> ここは・・ 名前: oer3001 [2006/06/24,23:45:17] No.15316 (220.147.136.89)
これはまた懐かしい!
山下公園からの経堂庫でしょうか?
>> 写真、保存の素晴らしさ 名前: 平成生まれの小田急ファン [2006/06/25,01:33:00] No.15317 (210.234.17.63)
昭和30年代の貴重なお写真、拝見していて感動いたしました。
80年代に出版されている資料本にも貴重な写真がありますが、その他一般の鉄道ファンの方々の視線から、当時を垣間見ることが出来嬉しく思います。

これからも、是非とも当時のお写真を拝見したいと思っております。
>> 豪徳寺から歩きました。 名前: c59182 [2006/06/26,11:26:54] No.15321 (219.124.250.129)
oer3001 様 遅レス申し訳有りません。
豪徳寺から玉電の踏み切りを渡り、そのまま側道を経堂へ。
突き当たりがもう経堂検車区でした。小田急社宅の裏側のお寺と小さな公園の処に検車区入口があり、許可を受け場内に入りました。
経堂検車区車庫建物の山側?に留置線が何本かあり、そこでの撮影です。ただ車輌がどこも車止いっぱいに停車しているため、あまり良い写真は撮影できませんでした。昭和37年の昔話です。


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地上時代の経堂 名前: しゅうちゃん [2006/06/23,23:25:24] No.15310 (61.24.197.66) ツイート
こちら側も結構ヤ−ドの本数があったんですね。経堂駅前のデパ−ト?の屋上から。昭和37年
>> このアングルは 名前: 石仏公園 [2006/06/23,23:29:32] No.15311 (60.47.14.213)
経堂ストア(現、セントラル経堂マンション)屋上からですね。
ここにはちょっとしたミニ遊園施設がありましたね。
>> 経堂工場の跡地 名前: c59182 [2006/06/24,11:46:53] No.15313 (219.124.250.129)
しゅうちゃん様 屋上からの珍しい写真を有難うございます。
ここは、昔の経堂工場の跡地と思われます。相模大野に大規模な「大野工場」が完成する以前は、ここ経堂で電車の修理、相武台前で電気機関車?と貨車の修理をしていたと昔聞いたことがあります。
その後この跡地が整備され、小田急経堂駅ビルや、車輌留置線が4線?(20m車6輌編成用)作られ、高架立体化まで活躍しました。
>> 見つけました! 名前: 通勤急行は登戸停車 [2006/06/24,23:32:34] No.15315 (211.13.126.136)
準急らしき車輌の行先表示幕が“相模”が横書きの相模大野ですね。“箱根”が横書きの箱根湯本もありましたが、この当時は、これが一般的だったのでしょうか?


画像タイトル 江ノ島線の急行から -(171 KB)
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解体中・・・・ 名前: はやて [2006/06/23,22:36:15] No.15308 (222.230.132.156) ツイート
昭和の時代の古い車両の話題で盛り上がっているところに、水を差すような投稿をして申し訳ありません。
僕は平成生まれなので、2600形以前の小田急の車両はまったく知らないので・・・・・
9407Fは大野で現在解体中です。
>> Re:解体中・・・・ 名前: A80&481 [2006/06/25,12:00:18] No.15318 (58.89.112.35)
はやてさん、こんにちは。
9407Fは現在解体中ですか。クーラーと床下機器が撤去されてしまいましたが…ステッカー類はまだ残っていますね。長い間本当にお疲れ様でした、と言いたい気持ちです。

ところではやてさんは平成生まれなんですね。僕は昭和60年に生まれましたが、実は中型車をほとんど知らないんです。2600系以前の小田急の車両について知りたいのであればネコ・パブリッシングから出版された「復刻版日本の私鉄 小田急電鉄」、鉄道ピクトリアルのアーカイブスセレクション、「小田急電鉄」、JTBキャンブックスの「小田急電鉄の車両」の3冊がオススメだと僕は思います。


画像タイトル img20060623202835.jpg -(158 KB)
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こんな列車種別がありました。 名前: c59182 [2006/06/23,20:28:35] No.15306 (219.124.250.129) ツイート
C62 44様に続いて、2320型の優等列車の姿。
昭和38年にNSE車が登場しましたが、未だ特急30分ヘッドには程遠く、また現在のようにマイカー時代でもないため、週末は座席指定列車が大繁盛。
乗車日の3週間前の木曜日は、新宿西口の小田急案内所は前売り指定券購入希望客の人また人で大混雑でした。
特急券が購入できた人は大喜び。しかし満員売り切れで購入できない人はガッカリしました。その人たちを救済するため、何と「準特急」なる列車が登場しました。
停車駅は特急と同様、新宿〜小田原間ノンストップで走行しましたが、使用車輌はセミクロスシートでトイレ付きの、改造2300型と2320型でした。
列車名は「高原号」といい、前後に大きな鉄製ヘッドマークを付けていました。セミクロスシート車でも、座席指定となれば行楽客は大喜び、ただ車端のロングシート部分の旅客の気持ちは、どうだったのでしょう?
私もこの写真を撮影するまで、「準特急」の存在を知りませんでした。その後NSE車が増備され、特急30分ヘッドが確立されると「準特急」は廃止されました。
>> 昭和30年代最後の顔 名前: C62 44 [2006/06/23,22:04:25] No.15307 (219.110.187.14)
当時は新松田なんてものすごく遠く感じていました。とてもこんな遠くで写真を撮ることなど考えられませんでした。
この頃は準特急の存在すら知らず、特急は一つ覚えのSE車しか撮っていません。
2320までの小田急高性能車の顔は一つライトと妻面下部のアンチクライマー(というより単なる踏み板?)でしたね。これがHE車になると2灯になり、独特の踏み板もなくなりました。これが30年代の小田急顔を持つ最後の車両となりました。
見ていると幼い頃の思い出がこれに凝縮されているように思います。歳をとったもんですね〜

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 小田急アルバム 623

 

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